12月8日、ニース空港に4ヶ月ぶりに到着した。
夏の出張以来なので久しぶりとは思わないが、冬に来るのは初めてで新鮮な気分だ。
能登空港を出発して、羽田-ロンドン経由ニース空港着。丸2日間の長旅である。東京で1泊とロンドンで1泊の合計2泊の経由はさすがに長く感じるが、それでも飛行機旅は楽しい。飛行機から眺める北極の空、朝焼けは格別である。
ニースに到着すると、気温は20℃。まるで春の心地のように暖かい風が流れている。海で泳いでいる人さえ見られる。それでいて、クリスマスマーケットではホットワインを売っているサンタクロースがいるものだから、季節感がチグハグしていてなんだか不思議な気分になる。
バカンスの聖地、ニース
フランスでは「ミクロ・クリマ」という言葉があり、直訳すると「ごく小さな気候」となる。ニース周辺の地域だけに特有の気候というのも、それに当たる。年中の気候が安定して温暖で、冬でも暖かいためバカンス客が絶えないのだ。
レストランのメニューは、英語はもちろんイタリア語やロシア語まで書かれている。100年ほど前にイギリス人やロシア人の貴族が冬の避寒地としてバカンスに訪れたのがニースのリゾート地としての由来である。
そのため、6キロに及ぶ海岸の遊歩道は「プロムナード・デ・ザングレ = イギリス人の遊歩道」という名称が付けられた。
今では世界中の富裕層のリゾート地として発展し、フランスではバカンスといえば「ニース」が一番初めに名前が挙がるほどの世界的なリゾート地となった。2021年には「リヴィエラの冬季行楽都市ニース」として世界遺産にも登録された。
余談だが、このように国際的な観光都市のためフランス語ができなくてもあまり問題はない。ほとんどのレストランやショップで英語が使えるし、店員さんの愛想もフランス基準では良いほうだと思う。
1ヶ月目のフランス生活と年末年始
到着から3日目にしてコロナにかかったり(今回のは旅の疲れもあり、かなりしんどくて復活するまで1週間以上かかった…)、アパートへ引っ越しをしたり、携帯電話の契約をしたり、調理器具を揃えたり…そんな慌ただしい師走だった。
年の瀬に、ニース在住の友人(イタリア人)とようやく再会した。彼はホテルマンで、現在はモナコの一流ホテルで働いているが、少し前まで「ル・ネグレスコ」で働いていたという経歴の持ち主だ。留学時代のクラスメートとして知り合い、日本にも遊びに来てくれた親友のひとりである。
「ル・ネグレスコ」はニースの象徴的な5つ星ホテルで、風光明媚なビーチに面しており、数千を超えるアートや調度品で埋め尽くされた元祖ブティックホテルとも言える存在。
12月31日、そんな友人の紹介でネグレスコで開催されるという年越しカウントダウンに行くことができた。
「ル・ネグレスコ」で迎える2024年元日
ネグレスコのバーは、1913年当時のままの形を残しておりフランスの最もエレガントな時代の内装を楽しむことができる。
夜11時から生演奏が始まった。Ben.E.KingのStand By MeやMichael Jacksonなど世界中の観光客が盛り上がる往年の名作ロックが中心のバンドだ。みんな立ち上がり、飲みながら、踊りながら、徐々に賑やかになっていく。もちろん一人で飲みにきている旅行客も多く、隣同士で喋り始め、席を移動し、また知り合いが増える。
ボルテージが最高潮に達したところで、全員でカウントダウン。しばらくみんなで盛り上がったところで、僕は翌日の初日の出の写真を撮りたくて、午前1時過ぎに退席。何時まで続いたのかは分かりませんが、2024年の幕開けは人生で一番賑やかで華やかな幕開けだったのは言うまでもありません。
もちろん宿泊客でなくても自由に参加できるし、会費などはなく自分が注文した飲み物代だけの良心的なカウントダウン。もし年末をニースでと考える方がいらっしゃれば、この選択肢もアリだと思う。
このティラミスは、今まで食べた中でTOP3に入るくらい美味かった記憶がある。ネグレスコに行かれた際には、ぜひオススメしたい。
初日の出、そして能登半島地震
2024年1月1日フランス時間8時04分、日本時間16時4分。初日の出の時間である。
僕は初日の出を見るためにニースの海岸にやって来たが、あいにくの曇天。家を出る時から一縷の望みをかけてきたが、やはり太陽は現れない。
午前8時10分、日本時間では16時10分を2分ほど過ぎた頃。
わずかに雲の隙間から太陽の光が差し込んでいたので撮影をしていると、留学時代の友人からLINEで「地震!」の一言が届く。「は?」と思い、Googleを見ると『能登地方 震度7』の文字が表示されている。
すぐに家族へ連絡をすると「全員無事」だが、外出先(七尾市中島町)は停電していてテレビも見れず、何がどうなっているか全くわからないとのこと。そこで東北に住んでいる友人に頼んでテレビをLINEビデオ通話で僕に見せてもらい、フランスにいる僕が、日本の家族とメッセージでやり取りをする。
すると大津波警報が出たので、とにかく高台へ避難するよう連絡する。僕は近くにあったカフェに入り、高台で待機するようメッセージを送る。5mの大津波が実際に来ると自宅だけでなく店舗も全て浸水エリアとなっていた。この時の1時間は、まるで時間が止まったように感じられた。
2時間ほど経過した後、どうやら津波は自宅エリアまで来なかったようだと分かったため、自宅へ戻るとのこと。外出先から自宅まで、通常は30分で到着するはずが、ほとんどの道が通れない状況で、遠回りをして3時間以上かかったとのこと。
翌朝から、能登半島の変わり果てた状況をメディアやSNSで眺める。ただ、眺めるしかない日々が3日間ほど続く。飛行機に飛び乗って帰国しようかとの選択肢も頭をかすめたが、僕が帰っても避難生活者がひとり増えるだけなので止めることにした。
家族や友人たちの無事は確認できたが、家や店舗は被災して損傷があり、断水も続いているため家族は3週間が経過した今も在宅避難を続けている。水が使えないだけでも相当なストレスがかかっているようだ。
今はフランスでも出来る罹災証明などの書類作成をしながら、フランスでの仕事も続け、今後の七尾の店舗計画を考える日々。現時点では断水の解消が4月以降との発表があった。弊店においても、カフェの通常営業再開は当面先になりそうだ。
2024年元日より、僕のフランス・ニース生活は激動となった。
元日のニース港から望む初日の出らしき光。(2024.01.01.08:09)